2010年02月09日

ご無沙汰しておりました。


 あれから、2ヶ月か・・・

 

 遠くにいる母の様態を父や弟たちに聞くと「相変わらずだな・・・」と

病状は決して良くなることのない曖昧な返答ばかり。

男というものはそういうものなのだろうか・・・?

電話での声色だけでは様子がどうもわからない。しかも母自身から病床の上から

電話をかけてきてくれるのだから、余計そう感じる。そうは言ってもいつも泣きながらの電話だった。



 「モルヒネを使いだしたと言ったら、すぐに連絡くれるように」

そう、弟たちにお願いし、その日は数日と経たないうちにやってきた。

それが、11月の帰省の日でした。


      

 「わざわざ帰ってきたのかい」

 母の第一声はそれだった。

 思ったより元気そう・・・病院着で隠れたいたところをのぞけば・・・

 



 その日から病院へ泊り込むことに。

 こんなに長く夜も昼も母と一緒に居たのは、もの心ついてからは初めてのことだ。

一日目は「帰って(実家に)寝なさい」なんて言っていたけれど、それは私を気遣ってのことだ。

本当はもっと早く帰ってきて欲しかったんだなとつくづく感じた。

 母親・妻というものは、うちの母に限ってかもしれないけれど、父や弟の前では

いつも気丈だったようだ。その証拠に看護士さんに「娘さんを待ってたんだよ・・・

息子さんたち来ている時は、平気な顔していたけれど、帰られた後は辛い様子でね・・・」と

言われた。


 去年3月2日の母の誕生日に初めて、大きなつるし雛を作って贈った。母親が娘に

健康や幸せを祈願して、一針一針縫うお雛さま。逆ではあるけれど、母はお雛様が

好きだったので「厄が去るでさるっこ、万病の果物の柿、婦人病に桃、長寿に鶴や亀・・・・」

今年の誕生日にも作ろうと、帰省前日、つるし雛の材料を用意していった。

病室のベットの横でお雛様を作る。「つるしながら作って」という母の希望に応えて、

点滴かけにひかっけひとつひとつ増えていくのを楽しみに眺めてくれていた。



 つるした雛たちの最後の段に残すところ〆雛を残して

祈り虚しく急に母は天国に旅立ってしまいました。


 
 看護士さんに旅立つ準備の話を聞かされた。冷静なときに話させてね・・・と。

だからといって、翌日にその日がくるなんて思ってもみなかったことだった。


 「お風呂に入ってくるからね」と、無理やり父に付き添いを代わってもらいたった

3、4時間病室をあけ、弟の車で一時帰宅する。「もしかしたら、もう私はお母さんが

退院するときまで帰ってこないかも」と、

退院時の母を寝かせるお布団を用意し、退院時の衣服を用意して病院へ戻った。


 どんなに泣きたくなっても母の前では泣かないと涙が出そうになると内腕を爪でつねって

こらえていたのに、この日は病室に戻るなり数時間前の様子が一変していて、母の姿を前に

数秒とその場にいれなく、看護士さんの元へ。

何が起こっているのか説明を聞きながらも涙は抑えきれない自分。看ているのは辛い・・・

弟たちはそう私に言う。だからといって私だって辛い・・・辛くないわけではない、

もう残り少ない時間なのだろうかと思うと、涙が止まらない。



 家族で相談して効けば睡眠できるという薬をつかうことにした。

家族が看ているが辛いから薬を使うのは家族のエゴではないかと葛藤する・・・

でも、母はその薬の効果でもって一時でも寝られる・・・。体力が無い場合は・・・そのまま・・・



 1時間かけて薬が効き、母は眠りについた。

「よかった・・・・」

家族たちは安心して病室を出た。



 ものの3分後・・・・・「家族の方を呼び戻して」と看護士さんに言われ、すぐに電話。

「声をかけて!」


何が何だかわからなかった。

ただただ、「お母さん、お母さん」と呼びつづけた。

母の手首に指を置き呼びつづける。力強く打つ脈は静かにそしてゆっくりと・・・


それからすぐに家族たちは戻ってきた。




私が付き添って、たった13日間・・・

もっと、早く帰ってこえばよかった・・・あの薬使わなければ良かった・・・

なんであの時の体の変調に気づけなかったのか・・・

もっと、もっと親孝行しておけばよかった・・・

考えればきりのない、いろんな後悔が頭を過ぎる。


 誰が見てもわかるくらい母は父が大好きで、

その父に一番辛い時間の看病をしてもらい、母は喜んでいたにちがいない。

言葉にならない声で父の名前を呼んでいた気がする。

あの薬のおかげで、たった10分ほどだったけれど、辛さから解放され

穏やかな顔で眠ることができた。そのまま天国へ旅立ったことは、

何でよ!?何で何も言わないで勝手に逝ってしまうのよ!と、言いたいくらいだったけれど

でも、それって健康で残された家族のエゴなんだよな・・・あんなに頑張っていたのに、

もっと、頑張れって・・・思うのは酷なことなのかもしれない。


 ある夜中には、痛みと辛さで眠れなく、足元をさすりながら

辛い・・・という母に、「痛いよねぇ・・・」と返すと「でも、わからないでしょ・・この辛さは・・・」と

言われ、返す言葉が無かった。一日でも二日でも代わってあげられるのなら・・・

どんなに母は喜び、のびのびと大空を仰ぎ見ることだろう・・・


 ある夜には、相変わらず眠れない母に「眠れないの?」と聞くと

目をつむったらそのまま逝ってしまいそうと「死たくないもん・・・」と母は言った。

本当に情けない何もできなかった・・・ただ、そばに寄り添うことしかできなかった・・・

情けない娘だった・・・




 私が無理やり父と付き添いを代わってもらい、その時に退院の準備・・・

今から思えば、母はこの日を待っていたのだと思った。

よっぽど辛かったのだろう、やっと家族が言葉ではそんな日がくると思っていなくとも

心の準備をしたことを感じとったのだろうと思った・・・待っていたんだな・・・


 後の先生の説明によると、「ここ3日間は、お母さんはもう精神力だけで頑張っていた」そう。

正常な細胞レベルではなかったという。


 四十九日も終わり、富士宮に戻ってきたけれど、あの日からいまだ涙がこぼれる毎日。

遠くにいるものだから、普段の私と母の距離感が変わらない気がして・・・

写真を見るたび「嘘だよな・・・」と信じれないのが本当のところだ。

事実を理解しても、納得して心に飲み込むことができないでいる自分がいる。

こうして書くことで、認識できるのでは・・・と。



 今回、戻る途中、10年ぶりに施設に暮らす母の母(祖母)に会ってきた。

おばあちゃんには、母がもういないことを知らせていない。

「●●子はどうした?今度は一緒においでよ」と、おばあちゃんは言う。

私のこと忘れ気味だけど母のことは覚えている。

それでも私は母に似ているのだろう。私の後ろに母を映しながら、涙を流して「一緒においでよ」と・・・。

何かを感じているんだろうな・・・

「うん、今度一緒に会いにくるからね」  

涙こらえてそう応えるのが精一杯だった。

心が痛むということが

初めてわかった瞬間だった。  








            ほらほら、いつまでも泣いていないでしっかりと前を向いて歩く!




          そんな母の声が聞こえてきそうだ。






                          

               長いこと読んでくれてありがとうございます。

               ちょっとだけ、顔をあげて歩けるような気がしてきました。

               まだまだ、ぐずぐずメソメソしているかもしれませんが、
              
               ブログ・・・再開いたします。


               ご心配していただいた皆さん、

               温かく励ましのお言葉ありがとうございました。

               この場をかりてお礼もうしあげます。



              どうぞ、これからも sora をよろしくお願いいたします!


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この記事へのコメント
初めてお便りいたします。

とても良いお母様の見取りができて良かったですね。

あなたを指折り数えて待っていらした様子が伺えました。

親子の絆は、特に母と娘には独特なものがありますね。

お疲れ様でした。きっとお母様はあなたを優しい眼差しで

天国で見守ってくれているでしょう。
Posted by 2人3脚2人3脚 at 2010年02月09日 20:25
お疲れ様でした。

・・・ごめんなさい、これ以外言葉が見つかりません。
ただ、家族に見守られて・・とても幸せだったと思います。
セレの兄は、ひとり遠くはなれた仙台で倒れてそのまま・・でしたから。
Posted by セレセレ at 2010年02月10日 04:31
2人3脚さま>はじめまして。温かいお言葉ありがとうございました。そう、言っていただけると後悔の念も少しずつでも和らいでいくような気がします。気持ちの整理は時間が解決するとよくいいますが、本当にそうなのかもしれませんね。皆さんからいただくお言葉と時間でもって、明日への一歩が踏み出せるのでしょう。頑張ります!
Posted by sorasora at 2010年02月10日 09:22
セレさま<ご無沙汰しておりました。お言葉ありがとうございます。私は今回、近い身内を見送り初めてわかりました。今まで、幼い我が子を見送った親友や両親を看取った友人の悲しみの深さに。ご葬儀に参列させてもらっては本当に悲しくて一緒に涙していたけれど、こうして自分の身に起きるとまざまざと実感されたというか…。
実際、火葬場では自分が自分でなくなり、わけわかんなくなってしまって・・・。そんな時にずっと手を握って付き添ってくれたのが息子であり夫であり、家族なんですよね。いつも無償の愛で手を差し伸べてくれる家族に改めて感謝、だからこそ失ったときの悲しみの深いことを知りました。
Posted by sorasora at 2010年02月10日 09:33
お帰りなさい。。

涙が止まりません
お辛い時間を過ごされたようで。。。

少しずつブログがsoraさんの心を癒してくれますように。。。
Posted by トットちゃんトットちゃん at 2010年02月10日 16:18
トットちゃんさん<ご無沙汰しておりました。幾度となくコメントありがとうございました。失って初めてわかる・・・なんてセリフよく耳にしますが、それって本当なんですね。なんだか自分の身に起きて、いろんなこと実感しています。ここまで母に依存していたものなのか・・・と、泣いても泣いても過去にも戻れず、ただ時間をやり過ごすだけなんて・・・でも、それしか方法がないものかもしれません。それでも、歩かなきゃね!毎日泣いても歩かなきゃ!そのうち無く回数も減って笑って母の遺影に向き合える日がくると思うしね!
Posted by sorasora at 2010年02月10日 19:28
お疲れ様でした。
そして おかえりなさい。

3年前に亡くなった父のことを思い出しました。
悔やむ事がいっぱいありすぎて今でも辛くなります。
ただ、時間は少しずつゆっくりですが悲しみも辛さも和らげてくれますよ。

この場所がsoraさんの癒しの場所になりますように。
Posted by ちょーくちょーく at 2010年02月10日 21:31
ちょーくさん<コメントありがとうございます。いつも、ちょーくさんのアートの世界を覗かせてもらっていにおじゃまさせていただいてました。
 こんな暗い記事でも、こうして気にかけて目を通してくださる方がいらっしゃって、励ましのお言葉をいただくと、辛いのは「自分だけじゃない」と頑張れる気がします。ブログという世界は本当に文字ありきの世界で、皆さんがひとつひとつうってくださるその文字のおかげで元気をもらえてると実感しています。ありがとう、ちょーくさん!
Posted by sorasora at 2010年02月10日 23:24
お疲れ様でした
缶コーヒーがしょっぱくなってしまいました。。。
言葉が見当たらないので・・・
ブログ楽しみにしてます^^
Posted by サキパパサキパパ at 2010年02月11日 15:03
サキパパさん<ご無沙汰しておりました。ごめんなさい。缶コーヒー・・・サキパパさん読んでくれてありがとうございます。誰かが心に閉じ込めた私の声を聞きとめてくれたというだけで、暗い部屋から脱出できたような気がします。私の自己満足の勝手な行為なのかもしれません。でも、本当に皆さんの言葉に救われます。ありがとう♪
Posted by sorasora at 2010年02月12日 08:52
お疲れ様です。

身につまされる思いです。
さぞ、つらかろと心中ご察し申し上げます。
しかし、看取る事が出来た事だけでも良かったかと。
にいやんは、祖父母に出来ませんでしたから…。

前をしっかり見据えて、行きましょう。
とりあえず、前進しましょう。
心の痛みは、そのうちです…。
Posted by スー兄(にい)やんスー兄(にい)やん at 2010年02月12日 11:05
スー兄やんさん<はい!前進あるのみですね。どんなに後ろ振り返ったみても、戻りたい場所には戻れないんですもんね。それならば、充実した毎日を過ごすよう前を見なければいかねいものね!ありがとうございます♪
Posted by sorasora at 2010年02月12日 13:17
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